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黒島の観光名所

  • 黒島の観光名所

    1902年に黒島カトリック信徒の献金と労働奉仕によりで2年の歳月を掛け建立された煉瓦造りの教会。
    外部、内部ともに立派な姿は、今でも多くの人を魅了している。国の重要文化財に指定されている。
    今でも島の神聖な祈りの場となっている。世界遺産暫定リストへの掲載がある長崎の教会群とキリスト教関連遺産のひとつでもある。
    山した旅館から徒歩3分。

  • 黒島天主堂内部

    素敵なステンドグラス、有田焼のタイル、島の御影石と細部まで趣向が凝らされた内部は、入った瞬間息をのむこと間違いありません。
    教会内に入り、心静かに椅子に座ると清らかな気持ちになります。

  • 串の浜岩脈

    島西部の海岸には、長崎県指定天然記念物であり、長崎県下最大の串の浜岩脈が横たわります。
    岩盤の裂け目に地下のマグマがせり上がり、固まった玄武岩の岩脈です。
    総延長約300mに及び、その姿は圧巻です。
    このあたりは、磯遊びにも楽しい地域です。

  • 信仰復活の地

    1865年潜伏キリシタン達が密かに守っていた信仰を告白した後、1872年黒島で最初のミサが、この「信仰復活の地」で行われました。
    後に記念碑が建立され、今も黒島の人々が大事に守っています。

  • アコウの木

    アコウは、亜熱帯を中心に分布する植物です。黒島では、アコウは他にも自生していますが、この根谷地区のアオウはとても大きく圧巻の姿です。
    アコウは親木に寄生して値を垂らして成長していき、最後には親木を覆うので別名「絞殺しの木」とも言われています。

  • カトリック墓地

    島民の9割がカトリック信者である黒島のカトリック墓地。
    黒島の歴史を感じる場所でもあります。

  • 黒島神社

    黒島港近くにある。

    境内には黒島唯一の自然林があり、縄文の森の面影を今も残します。

  • 島からの眺め

    島からの眺めの美しさは島民の自慢です。
    美しい眺望スポットは民宿でお尋ねください。
    晴れている日には平戸島まで見渡せることがあります。

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黒島天主堂(黒島教会)

黒島天主堂の内部

串の浜岩脈

信仰復活の地

アコウの木

カトリック墓地

黒島神社

島からの眺め

  • 黒島天主堂(黒島教会)
  • 黒島天主堂の内部
  • 串の浜岩脈
  • 信仰復活の地
  • アコウの木
  • カトリック墓地
  • 黒島神社
  • 島からの眺め

黒島の昔話

「馬どろぼうと大ダコ伝説」

昔、黒島は平戸藩の軍馬の牧草地だったそうです。

ある日の事、馬がいなくなったので馬泥棒を捕まえようと、島の人は牧草地に馬の形をした鉄を高温にして置いておいたのだそうです。

翌日、島の人が牧草地を訪ねると、鉄に巻いて焼けただれた大ダコの姿があったそうです。

馬ドロボウの犯人がなんと、大ダコでした!
面白い昔話として今でも黒島で語り継がれています。

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黒島の歴史

隠れキリシタンの島の苦難の歴史

江戸時代、黒島は平戸藩の領地であり御影石の採石地、軍馬の飼育地として
知られていました。
江戸幕府の禁教令によりキリシタン弾圧が行われ、黒島には長崎県外海地方の潜伏キリシタン(隠れキリシタン)が移住しました。

その後、つらい暮らしを強いられながらも、密かに信仰を守って暮らしていました。

1865年、長崎の浦上の信徒がプチジャン神父にキリスト教信仰を告白し
(信徒発見)、その噂を聞き密かに信仰を守っていた黒島のキリシタンが
プチジャン神父に信仰を告白しました。

その後黒島の信徒はカトリックの洗礼を受け、1872年「信仰復活の地」にて初めてミサが行われました。

その黒島天主堂が建立され、今もカトリックの信徒の島民により祈りが捧げられています。

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黒島とは

  • 場所:長崎県佐世保市黒島町(西海国立公園九十九島の一部)
  • 島の周囲:12.5km
  • 人口:約600人
  • 島の名物:黒島豆腐、ふくれ饅頭、ウニやアワビ・伊勢海老などの海産物
    肥沃な赤土から採れた根菜類
  • 主な産業:漁業・農業
  • 島に交通手段、信号機はありません。

黒島の由来

黒島の由来には、ふたつの説があります。
黒島を海上から見ると樹木が密生して黒く見えたから「黒島」という説と、キリスト教の信者が多く住んでいたため、「クルス島」(クルス…ポルトガル語で十字架)→「クロ島」となったの説もあります。

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